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スイスの静謐な空気をまといながら、録音技術の世界に旋風を巻き起こした男、ウィリ・スチューダー。
彼の名は、アナログ録音の黄金期を象徴する存在として、今もなお世界中のオーディオマニアから熱い眼差しを受けています。
だが、彼の軌跡は単なる機械の歴史ではありません。
スチューダーの人生そのものが、音にすべてを賭けた一つの叙事詩となるわけです。
この記事ではスチューダーの名前は知っていてもいまいち詳しく知らないという人のために、徹底してスチューダーを解説していきます。
オープンリールテープの歴史
この記事を担当:こうたろう
1986年生まれ
音大卒業後日本、スウェーデン、ドイツにて音楽活動
ドイツで「ピアノとコントラバスのためのソナタ」をリリースし、ステファン・デザイアーからマルチマイクREC技術を学び帰国
金田式DC録音のスタジオにて音響学を学ぶ
独立後芸術工房Pinocoaを結成しアルゼンチンタンゴ音楽を専門にプロデュース
その後写真・映像スタジオで音響担当を経験し、写真を学ぶ
現在はヒーリングサウンド専門の音楽ブランド[Curanz Sounds]を立ち上げ、ピアニスト, 音響エンジニア, マルチメディアクリエーターとして活動中
当サイトでは音響エンジニアとしての経験、写真スタジオで学んだ経験を活かし、制作機材の解説や紹介をしています。
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テープ録音に革命を起こした男
ヴィルヘルム(通称ヴィリー)・シュトゥーダーは、1912年12月17日にスイスのチューリッヒで生まれました。
若い頃は、父が営む木工・家具製作の工房で働いた後、写真機器やラジオを扱う店に勤務し、営業と無線技術者を兼ねて働いていました。
この仕事を通して、ラジオの販売・修理に携わりながら、独学でラジオ受信機の設計と製作を学んでいきます。
1932年、まだ19歳だったシュトゥーダーは、自らの会社「テル(Therm)」を立ち上げます。
無線に関する知識と、父の家具製作技術を組み合わせたこの会社では、木製キャビネット入りのラジオ受信機を製造しました。

画像引用:hifihalloffame.com
製品の品質には定評がありましたが、当時の市場にはそれほどの需要がなく、長くは続きませんでした。
それでも、正式な工学教育を受けていなかった彼は後に無線工学の訓練を受け、製品デザイナーとして頭角を現します。
その後、友人のヘルマン・ホルツホイがチューリッヒに「ソンディナAG」を設立し、シュトゥーダーはすぐにチーフデザイナーとして迎えられました。
ソンディナのラジオ製品の多くは彼の設計によるものでした。
また、両親もチューリッヒに移住し、父ゴットフリートはソンディナの木製キャビネットを手掛けるようになります。
1942年、第二次世界大戦が激化する中、シュトゥーダーはスイス陸軍に従軍。
その後はチューリッヒの電気機器メーカー「シュヴァハストロムテクニック社」にて主任設計者を務め、ここで「テレボックス」と呼ばれる無線受信機や増幅システムを開発しました。

テレボックス 523 ラジオ
1943年には、新たな事業を始めるべく、ヘリザウにてベルトルト・ズナーと共に「メトローム社(Metrohm)」を設立します。
この会社では高周波技術や医療機器に関する測定装置の開発に取り組み、現在も実験室向けの高精度機器を提供し続けています。
メトロームは順調に成長したものの、数年後、シュトゥーダーとズナーはそれぞれ独自の道を進むことに合意し、1948年1月5日、シュトゥーダーは新たに「Fabrik für Elektronische Apparate(電子機器製造所)」を設立しました。
ここでは、まずオシロスコープ(波形表示装置)を製造していましたが、やがてこの会社は「Studer」と「ReVox」という、後に世界的ブランドとなる2つの名を冠するようになります。
アメリカ製機器からの学びと挫折
この頃、チューリッヒの歯科医であり、実業家志望でもあったハンス・カスパーという人物が登場します。
彼はシュトゥーダーの親友でもあり、革新的な事業を模索していました。
カスパーはアメリカのBrush社製のテープレコーダー「サウンドミラー」に目をつけ、これをスイスに輸入し始めます。
しかし、期待に反してサウンドミラーは品質面で問題が多く、さらに当時のヨーロッパの220V電源には対応しておらず、110V仕様であったことが致命的な欠点となりました。
カスパーはこの問題を解決すべく、無線の専門家であるシュトゥーダーに相談を持ちかけます。
シュトゥーダーもその課題に大いに関心を示しました。

サウンドミラー BK-41 テープレコーダー
当初は輸入されたサウンドミラーを改造する方向で検討しましたが、部品の品質が非常に悪く、特にローラーや摩擦ホイールなどは頻繁な交換が必要で、メンテナンスに多大な手間とコストがかかることが判明します。これにより、機器の改造は非現実的であると判断するに至りました。
そこでシュトゥーダーは、根本から新たに自らのテープレコーダーを設計・製造することを決意します。この提案にカスパーも賛同し、共同で開発に乗り出しました。
そして1949年、ついに最初の製品が完成します。
それがシングルトラックのオープンリール式テープレコーダー「Dynavox」です。
その優れた音質と安定性により、カスパーはこの機種を数百台販売することに成功し、シュトゥーダーの名はオーディオ界に広がっていくのです。

Dynavoxレコーダー
ReVoxブランドの誕生
1951年、ウィリー・シュトゥーダーが開発した「Dynavox」テープレコーダーは、すでに高い評価を受けており、販売も順調でした。
しかし彼は、さらなる飛躍のために新たなブランド名が必要だと考え、「ReVox(リヴォックス)」という名を打ち出します。
これが、同社の歴史における大きな転機となります。
ReVoxブランドとして最初にリリースされたモデルが「T26」でした。


最初の「ReVox」テープレコーダー、モデルT26
これはDynavoxの設計をベースにしながらも改良が加えられ、その高い品質と安定性から、一般市場だけでなく、放送や録音といったプロの現場でも高く評価されました。
特に注目されたのは、T26がスイスの「ルツェルン国際音楽祭」の公式録音機器として採用されたことです。
この出来事をきっかけに、ReVoxの名は急速にプロフェッショナル市場で知られるようになり、T26は1955年まで大きな変更なく製造が続けられました。
この成功を皮切りに、ReVoxは革新を続けながら製品ラインを拡大していきます。
高品質なオープンリール・テープレコーダーは、放送局や録音スタジオで標準機として広く導入され、ウィリー・シュトゥーダーの「性能と信頼性への執念」が、ブランドの成長を支える原動力となりました。
Studerブランドの誕生とプロ市場への進出
ReVoxブランドが市場に浸透した翌年の1952年、シュトゥーダーはプロフェッショナル専用の製品ラインを立ち上げます。
そして、この新ブランドには自らの名前「Studer(シュトゥーダー)」を冠しました。
ReVoxが一般市場向けであるのに対し、Studerは放送局やスタジオといったプロの現場に特化した製品を提供することを目的としていました。
Studerブランド最初のモデルのひとつが、ラジオ局向けに設計された「A27」テープレコーダーです。


A27 テープレコーダー
その後、数々の名機を世に送り出したStuderですが、特に1961年から1970年にかけて製造された「C37」は、初期のモデルA27を進化させた代表機として知られています。

Studer C37 テープレコーダー
そしてこのC37の多チャンネル仕様として開発されたのが「J37」。この機種は、ビートルズが名盤『アビイ・ロード』を録音したアビイ・ロード・スタジオにて実際に使用されました。
これにより、Studerブランドの名は世界中のプロ音楽シーンに響き渡ることになります。


Studer J37 テープレコーダー
また、1970年に登場した「A80」は、Studer史上最も成功したモデルであり、1988年までの18年間にわたって生産が続けられました。
この間、ABBAやピンク・フロイド(特に名作『狂気』)、フランク・ザッパといったアーティストたちがこのマシンで音を刻みました。

Studer A80 24トラックレコーダー
A80はただの録音機器ではなく、音楽クリエイターたちのインスピレーションを形にするための“信頼できる相棒”だったのです。
ReVox「36」シリーズの系譜と伝説
ReVoxブランドを語る上で外せないのが、「36」シリーズのオープンリール・レコーダーです。


ReVox A36
1956年、初代T26の後継として登場した「A36」は、ReVoxの成功の礎となったシリーズの第一歩でした。
以後、「36」シリーズは世代を重ねるごとに改良され、新機能とともに洗練されたスタイルを確立していきます。
このシリーズに共通するのは、すべて真空管を使用していた点です。
まだトランジスタが登場する以前、A36をはじめとする36シリーズの全制御回路と音声処理は、精緻な真空管設計によって行われていました。A36は、優れた音質・堅牢な構造・シンプルで美しい外観を兼ね備えており、当時としては贅沢にも3モーター構成を採用していました。
1957年には、録音ヘッドと再生ヘッドを分離し音質を高めた「B36」が登場。

ReVox B36 テープレコーダー
これはアマチュア向けでありながら、プロにも通用する性能を備えていた点で特筆すべきモデルです。
さらに1960年には、ステレオ録音のニーズに応えるべく、2トラックまたは4トラック録音が可能な「D36」が導入されました。

ReVox D36 ステレオ テープレコーダー
そしてシリーズの集大成として1967年に登場したのが「G36」。
その最終形とも言えるG36をもって、「36」シリーズは幕を閉じますが、その間に販売された台数は8万台以上。これはオープンリールテープレコーダーとしては空前の記録であり、現在でもその存在は多くの愛好家たちに語り継がれています。

G36はReVox「36」シリーズのテープレコーダーの最終モデルでした。
ReVox「77」シリーズの登場
ウィリー・シュトゥーダーの挑戦は、決して「36」シリーズで終わったわけではありませんでした。1970年、ReVoxは新時代の到来を告げる「77」シリーズを発表します。
これは、ソリッドステート技術や改良されたモーター、新素材の導入により、家庭用Hi-Fi市場に向けた真に高性能なオープンリール・レコーダーの製造が可能になったことを象徴する製品群でした。
シリーズの第一弾「A77」は、オープンリールレコーダーの新たな基準を打ち立てた画期的なモデルです。
3モーター構成による正確で安定したテープ走行、高品質な電子部品、堅牢な構造によって高い信頼性を実現。
また、カスタマイズ性にも優れており、テープスピードや再生ヘッド構成など、ユーザーの目的に応じた仕様選択が可能でした。
A77はMark IからMark IVまで、1977年までに4世代が製造され、世界中のオーディオファンに数十万台が愛用される大ヒットモデルとなりました。
その後継機として1977年に登場したのが「B77」です。
A77の設計思想を引き継ぎつつ、より高出力で大型化され、一般家庭はもちろん、プロフェッショナルスタジオでも使用されるようになりました。
A77同様に非常な人気を博し、1985年まで製造が続けられました。
ReVoxを象徴するHi-Fi製品たち
ReVoxはオープンリールレコーダーだけではありません。
1970年代から80年代にかけて、数々の象徴的なHi-Fi機器を世に送り出しました。そのいくつかをご紹介します。
ReVox B790 ターンテーブル(1977年)


アナログオーディオとレコードの隆盛期に登場したこのターンテーブルは、クォーツロック式のダイレクトドライブモーターと、常に正確な角度で針がトレースできるタンジェンシャル・トーンアームを搭載した画期的な製品でした。
洗練されたメカニズムと先進技術の融合により、B790は高性能と美しさを兼ね備えた逸品として語り継がれています。
ReVox B710 カセットデッキ(1981–1984年)

オープンリールで培った技術をカセットに転用したB710は、世界初の4モーター駆動方式を採用した革新的なカセットデッキです。
ドルビーノイズリダクションなどの高度な機能を備えながらも、精巧な構造と卓越した音質を誇り、当時のカセットデッキとしては頂点に立つ存在でした。
ReVox B226 CDプレーヤー(1986–1994年)

CD黎明期には出遅れた感のあったReVoxですが、B226はその遅れを取り戻すに十分な完成度を持って登場。
高精度なドライブとアナログ出力回路による温かみのあるサウンドで、ReVoxの名にふさわしいCDプレーヤーとして高い評価を受けました。
ReVox C270 / C274 / C278(1988年)

これらはReVoxが手掛けた最後のオープンリール・レコーダーシリーズであり、アナログ録音時代の終焉を象徴する存在です。
音楽業界ではデジタル技術が急速に台頭し、時代の潮流が変わり始めた時期でもありました。
ブランドの終焉とウィリー・シュトゥーダーの最期

1990年代初頭、シュトゥーダーは自身の年齢と未来を見据え、ReVoxおよびStuderの事業を託せる後継者を探し始めました。
条件として、スイス企業が買収すること、本社をスイスに残すことなどが提示され、1991年頃、スイスの持株会社への売却が決定されました。
しかしその後、約束は反故にされ、大規模な事業再編が強行されます。
製品の多くは廃止され、工場閉鎖や従業員の解雇が相次ぎました。
さらに1994年にはStuderとReVoxが分割され、それぞれ別の所有者へと売却されます。
Studerはアメリカ企業へ、ReVoxは民間投資家グループの手に渡りました。
ウィリー・シュトゥーダーが築いた伝説のブランドたちは、わずか数年のうちにその姿を大きく変え、彼自身も大きな苦悩を味わうことになります。
そして1996年3月1日、ヴィリー・シュトゥーダーは静かにその生涯を終えました。
StuderとReVoxの現在 ― 遺産は生きている

シュトゥーダーの死後も、彼の名を冠する2つのブランドは、変化の激しいHi-Fi業界の中で今日まで歩みを続けています。
現在、StuderはカナダのEvertz社の一部門として存続し、放送・スタジオ向けのプロフェッショナル用ミキシングコンソールに特化しています。
ブランド設立から70年を迎えた今も、ウィリー・シュトゥーダーの遺産は確かに受け継がれています。
一方、ReVoxもまたスイスに本社を置き、高品位なネットワークレシーバー、ターンテーブル、スピーカーなどの現代的Hi-Fi機器を製造しています。創業75周年を記念し、スピーカー「Elegance G120」のアニバーサリーモデルや、伝説のB77をベースにした限定記念エディションなど、歴史を称える特別モデルも登場しています。
また、ReVoxではオリジナル部品の少量生産や、ヴィンテージ機器の修理・レストアサービスも展開しており、その精神は今も息づいています。
世界からの称賛と栄誉
ヴィリー・シュトゥーダーは、その長いキャリアを通じて、数多くの業界団体や機関から栄誉を受けています。
- 1970年:オーディオエンジニアリング協会(AES)より、磁気音響とスタジオ技術への貢献を称えられ「AESフェロー」に任命。
- 1978年:スイス最高峰の理工系大学、**チューリッヒ工科大学(ETH)**より名誉工学博士号を授与。
- 1982年3月6日:AESよりゴールドメダル賞を受賞。これは世界の音響工学分野における最大級の栄誉のひとつです。
- 1979年9月1日:カントリーミュージックの聖地、アメリカ・ナッシュビルのリチャード・フルトン市長より名誉市民章を受章。
- 1982年5月8日:ドイツのローター・シュペート首相より、バーデン=ヴュルテンベルク州功労勲章を授与。
これらの賞は、技術者としての卓越性だけでなく、音楽文化と産業への貢献を広く認められた結果に他なりません。
ハイファイの殿堂にその名を刻む
ヴィルヘルム・“ヴィリー”・シュトゥーダーは、世界をより良くすることに一生を捧げたエンジニアであり、起業家でした。
19歳で最初の会社を興してから、84歳でこの世を去るまで、彼は人生と音楽、Hi-Fiと技術に対する情熱を一度も絶やすことなく、走り続けました。祖国スイスを愛し、働く仲間を大切にし、革新に情熱を燃やしたその姿は、今も多くの人の記憶に残っています。
初期のDynavoxから、後期のReVox Cシリーズに至るまで、彼と彼の会社が生み出した数々の名機は、オーディオの歴史そのものです。
その功績と精神は、今日もHi-Fiの世界に息づいています。
そして当然のごとく、彼の名はハイファイの殿堂に刻まれました。
ヴィリー・シュトゥーダーは、音の文化を築いた真のレジェンドなのです。