栄光と転落の記録 ─ AKAIという名の伝説

投稿者: | 2025年5月8日

かつて世界のオーディオシーンに一石を投じたブランドがあった。

その名は「AKAI」。

日本語では「赤井電機」。

洗練された機構美、研ぎ澄まされた音像、そして技術者魂が宿った設計思想は、今なお多くのオーディオマニアを惹きつけてやまない。

だが、その根源にある「哲学」を知っている者は、今となっては意外と少ないのかもしれません。

キーパーソン紹介

こうたろう

この記事を担当:こうたろう

1986年生まれ
音大卒業後日本、スウェーデン、ドイツにて音楽活動
ドイツで「ピアノとコントラバスのためのソナタ」をリリースし、ステファン・デザイアーからマルチマイクREC技術を学び帰国
金田式DC録音のスタジオにて音響学を学ぶ
独立後芸術工房Pinocoaを結成しアルゼンチンタンゴ音楽を専門にプロデュース
その後写真・映像スタジオで音響担当を経験し、写真を学ぶ
現在はヒーリングサウンド専門の音楽ブランド[Curanz Sounds]を立ち上げ、ピアニスト, 音響エンジニア, マルチメディアクリエーターとして活動中
当サイトでは音響エンジニアとしての経験、写真スタジオで学んだ経験を活かし、制作機材の解説や紹介をしています。
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すべては、ある技術者の信念から始まった

物語の始まりは、東京・蒲田。

ラジオ用ソケット部品の製作工房から、すべては動き出しました。

創業者・赤井舛吉が1924年に興した小さな製造業は、後に養子となった若き技術者・赤井三郎の手によって、大きく羽ばたくことになります。

戦後の混乱期、若き日の三郎は信じていた。

「原因を極めないで、対策はない」

この言葉は、音と向き合い、機械と向き合い、人と向き合う赤井三郎の、職人気質と人間味を象徴する哲学でした。

理屈よりも実証、妥協よりも精度。

彼が再建した赤井電機は、単なる家電メーカーではなく、そこには、“音を追求する工房”としての誇りが息づいていた。

第一章:世界で初めて、そして世界へ

1950年代。
赤井電機は、日本で初めてテープレコーダーの開発に成功します。

当時の日本において、録音機器はまだ特権的で高価な存在でした。

そんな中で「一般家庭でもプロ並みの音を扱えるように」という理念のもとに生まれたのが、AKAIの第一歩でした。

やがて、オープンリール機で世界に挑戦する時が来ます。

GXヘッド、すなわち「Glass & X’tal Ferrite Head」の誕生です。

摩耗に強く、磁気特性に優れたヘッドは、録音の限界を一気に引き上げた。

これにより、高域の伸びと音の透明感は群を抜くものとなり、多くのプロユーザーがAKAIに乗り換えました。

また、アナログカセットデッキでは世界初となる「オートリバース機構」や「クイックリバース」などを搭載。

操作性と録音品質の両立は、“エンジニアが使いたいオーディオ”を真に体現していた。

第二章:輸出で培った技術と、変わらぬ美意識

1970年代、赤井電機は輸出の比率を一気に高め、売上の9割以上を海外で稼ぐ「世界ブランド」となっていく。

米国市場では「Roberts」、欧州市場では「Tensai」などのOEM・別ブランドでも製品を展開。

どの製品にも共通していたのは、AKAIらしい「剛性」「緻密さ」「無駄のなさ」だった。

そして、赤井電機の製品には、どこか“職人の呼吸”が残っていた。

録音を開始する瞬間、テープが静かに走り出す音。

キャプスタンの滑らかな回転。

VUメーターの緩やかな応答。

それらすべてが「設計された音」だった。

音楽を聴くことの“儀式性”を大切にしたブランド、それがAKAIだった。

第三章:栄光の影で ― 時代の波と技術者の矜持

しかし、デジタル化と多機能化の波は、AKAIにも影を落とします。

1980年代、VHSビデオやCDの普及によって、従来のテープデッキは急速に市場を失っていくことになりました。

AKAIは三菱電機と提携し「A&D」というブランドで共同開発を進めますが、音楽再生の主流が変わっていくスピードには追いつけませんでした。

1990年代には、香港の資本を受け入れて経営再建を図るが、2000年、ついにAKAIは民事再生法を申請。

かつて世界を魅了したブランドは、表舞台から姿を消すことになりました。

それでも、多くのファンの手元にあるAKAI製品は、いまも現役で活躍しています。

電子楽器への挑戦と革新

1984年、AKAIは「AKAI professional」というブランドで新たな道を切り開く。

サンプラーS612を皮切りに、ロジャー・リンとの共同開発によるMPC60、さらにはEWIシリーズといった革新的製品を生み出していった。

特にS1000は、サンプリング文化の標準機として、ヒップホップやエレクトロニカの現場を支えた。

音を削るのではなく、音を彫る

赤井電機が残したものは、単なる技術ではない。

それは、「音と人の関係性」に対する、深い敬意である。

録音とは、時間を彫る行為だ。 再生とは、記憶をよみがえらせる行為だ。

AKAIはその両方に、魂を込めた。

そして私たちが、再びその音を聴くとき、そこには必ず“赤井の哲学”が息づいている。